まず、初代・自転車名人にして日本におけるロックの先駆者である忌野清志郎氏が
お亡くなりになりました。
小学校時代に初めて聴いた「ベイビー・逃げるんだ」以来、洋楽カブレだった筆者が聴いていた
数少ない偉大なる日本人アーティストでした。
心から哀悼の意を表します。
そんな初代・自転車名人がこの世を去る3日ほどまえに、大分県はオートポリスサーキットで
行われた
「オール九州3時間耐久ロードレース」
に参加した。
左膝痛のこともあるし、今回もチームを組んで1時間半くらい走ろうと思っていた。
思っていたが、モタモタチーム編成しているうちにエントリーの時間が無くなり、
ソロでエントリーとなってしまった(爆)
3時間を一人で走り続けなければならない。
左膝痛に悩まされたサイクルマラソン天草以来、3時間以上走ったことなどなかった私、
果たしてどうなってしまうのか?

今回の参加メンバーで集合写真。
年齢層は幅広い(笑)
大会当日はこれ以上ないという晴天。

青い空にド派手なサイクルジャージが映える(笑)

列に並んでスタート時刻を待つが、
結構寒い
午前8時、レースがスタートした。

前の週末に「D1グランプリ」が開催されていたため、路面コンディションは
ご覧の通りブラックマークがつきまくっていた。
(あまり自転車には関係ないが、ちょっとコース上に砂利が多かったような気がした)
さて、今回もいつものようにジャージのポケットにデジカメを忍ばせて出走したワケだが、
ソロで出走していたこともあって写真を撮る暇がなく、自分で撮った写真はココまで(笑)
第一コーナーを回って250Rのコーナー(自転車で走ればほぼ直線)を回って
3コーナーへ向う。
さ…寒い!
晴天という天気予報を見ていた私は、アームカバーの類を全く用意しておらず、
非常に寒い思いをすることになってしまった。
数周まわったところで…
トップ集団に追い越された!
がはぁっ!(吐血)
いやいや、今回は膝痛を出すことなく、3時間を一人で完走することが目標なので、
ここは落ち着いて省エネモードで走る。
このオートポリスは反対側の上り坂を上りってホームストレートに戻って来る。
ホームストレートでは足を休ませるモードで走っても30km/hを下回ることは無いのであるが…
この日はなんと、
ホームストレートで向かい風
がはぁっ!(吐血)
きちんとペダルを回さないと、30km/hを下回ってしまう。
いくら完走が目的とはいえ、これでは遅すぎる。

下ハンドルを握り、極力空気抵抗を減らして走る筆者と
応援してくれる「アンダー10」部隊(笑)
裏の上りを登っていると、またトップ集団が迫って来た…
よし、ここだ!
と、私は意を決し、ペダルを思い切って踏み込み、トップ集団の後方に付いた。
一度くらいはトップ集団と走っておかないと、ネタにならん!(笑)
なんとかトップ集団の一部として最終コーナーを回り、ホームストレートへ入る。
追い風になったかのような感覚で走ることができる…
前走車との間隔は十数センチなので、速度調整に集中する。
そのままがんばってついていき、裏の上りへ突入。
集団の中に居ると、空気抵抗が少なくなった影響で
ちょっとだけ楽に上ることができることがわかった。
ちょっとだけ楽になるだけで、
死にそうになりながら集団について行った。
ホームストレートに戻り、高速の下りから第一ヘアピンへ、そして
また裏の上り坂…
俺、終了。(爆)
まだまだ1時間ちょっとしか経ってない。
ここで無理しちゃ3時間ももたんよ…
と、自分に言い聞かせながら走る。
その2へ続く>>
admin 自転車
2009年3月1日(日曜日)
九州のサイクリスト達に春の訪れを告げるイベント
サイクルマラソン天草
が開催された。

今年で3回目の参加だが、私はかつてないテンションの低さで
開会式会場に居た。
別に3度目の参加で飽きてきたわけでもないし、
カッとなってアルファロメヲを購入したことで家庭不和が起きたわけでもない(笑)
テンションの低さの原因…それは。
左膝の60kmタイマー。
昨年の
屈辱の月曜日
ナイトライダー、草千里に散る
湯けむりサイクリスト、ナイトライダーの事件簿
の時に発症した左膝痛。
いずれも60km地点でスイッチを入れたかのように痛くなっている。
天草前ということもあり、2月中旬に家から62km離れたイオンモールまで行ってみるも
直前で膝痛が発生し、タイマーが正常に作動していることを確認している。
(嫁と子供はクルマで来ていたので積んで帰った)
イオンモールでの膝痛の後…
私は県内にあるスポーツ整形、とりわけ膝を専門としている有名なクリニックで診察を受けた。
レントゲンとMRIで左膝を撮影して、診察室へ。
ドクターが私の左膝に対して下した診断は…
外側半月板損傷。
がはぁっ!(吐血)
しかし、損傷といっても程度は軽く、内視鏡手術による損傷箇所の切除手術した方がよいか?
となると、「正直微妙」だとドクターが言う。
急いで手術する必要はないから、ペダリングフォームなどを調整しながら様子をみてみて、
手術が必要と思ったならいつでも連絡下さい。
と言われて私はクリニックを後にした。
スポーツをしない(知らない)ドクターだったら、すぐ手術しろと言われていたかもしれない。
今まで手術はおろか、入院すらしたことない私は非常に迷った。
日帰りでできるらしく、日常生活に影響は少ないとのことだったが、自分の身体にメスを
入れたくないというのが正直な気持ちだった。
そんな時、MTBライダーのミヤモッチ氏からウデが良いという整体を紹介していただいた。

福岡市博多区にある「仙道」
こちらもトップアスリートを診て来た経験を持つスポーツに理解ある整体師である。
予約を入れてお店に伺う。
私の体型を見て一言、その先生は「筋肉のバランスが悪い」と…
O脚とストレッチ不足の影響で、足の外側しか使えていない(荷重が外側に偏っている)
状態だと。
結果、外側の筋肉しか使っておらず、内転筋やお尻の筋肉、
太腿裏側の筋肉が全然使えていない状態だという。
足の外側の筋肉をほぐし、内側の筋肉を鍛えて使えるようしてやれば
バランスがとれるだろうとのこと。
半月板を痛めた原因に対処しなければ、手術してもまた同じ事を繰り返すこととなる。
診察台に横たわり、右足からマッサージが始まった。
がはぁっ!(吐血)
痛ぇぇぇぇえ!!(爆)
まさに容赦無し。
右足が終わって左足。
がはぁっ!(吐血)
うぎゃぁぁぁぁ!!!!!!!!!
足だけでなく、背中、首、ウデ、などなど全身に及ぶ…
ゴリゴリっ!
バキバキっ!!
うぎゃぁぁぁぁ!!!!!!!!!
あぎゃぁぁぁぁぁあ!
ぐえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
たわばっ!!
そして、
がはぁっ!(吐血)
凝りをほぐす
というより、
凝りをすべて潰す
という表現がぴったりだった。
私が自分の脚を触って「筋肉つきよるぜ〜」と
喜んでいたのは、ただ単に凝っているだけだった(爆)
※一部表現を誇張もしておりますが、私の要望に従って施術して下さっただけで、
一般のお客さんには優しいと思います(笑)
きっちり1時間後…
はい、終わりましたよ〜
と言われて診察台から降りた私は驚いた。
足の接地面が変わっている。
施術してもらう前より重心位置が親指寄りに移動している。
もちろん、これだけでは良くならないので、ストレッチの方法や
筋トレの方法まで丁寧に教えていただいた。
最後にその先生はニコッと微笑みながら一言。
大丈夫!大丈夫!自転車もフルマラソンもできるようになる!
…と。
帰宅の途に着いた私の足取りが軽かったのはマッサージの効果だけではなかっただろう。
結構ハードにマッサージされたにもかかわらず、いわゆる「もみ返し」のような
症状はまったく現れず。
さすが、である。
その2日後。

エントリー済みだった、マラソン大会(10kmコース)に参加した。
もちろん2日程度では良くなるはずが無いことはわかっていたが、前出のドクターや
整体の先生からもスポーツを止められなかったので、調子をみるために重心位置を
意識して走ってみた。
結果、8km地点で膝痛発生。
だめだこりゃ。
天草まで一週間しかないのに、これでは135kmは無理だ。
やはり、じっくり取り組まないと…。
参加するメンバー達のサポート兼カメラマンとして天草をクルマで走ろうと決めた。
決めたが、心のどこかで諦めきれない自分が居る(笑)
天草3日前、往生際の悪い私は自転車のチェックをしていた。
その光景を見ていた嫁さんが軽〜く私に言った。
「走れるところまで走って、無理なら回収バスに乗れば?」
そうだ、60kmは走れるんだから、走ってみようか!
と私が気持ちが軽くなって出走する決断をした。
さすが私の嫁さんだ!と思っていると、
彼女は続けた
「だってエントリー代もったいないやん」
がはぁっ!(吐血)
おしゃる通り…
そして3月1日早朝、私は天草に向けて自転車を載せたクルマをスタートさせた。
夜明け前の道を走る私の脳裏に、あの左膝の痛みが甦って来る。

またあの痛みを味わって、回収バスに乗るのか…?
なんとなく、負け戦に臨むような気分になってきた。
テンションが上がらないまま会場入りした私。
一緒に参加するメンバー達が心配してくれる。
「なるようにしかならんバイ! 回収バスもまたネタ!」
とカラ元気を出してみるが、やはりテンションは上がらない。
そんな私に「気楽に行け」と言わんばかりに、会場横の牛小屋から牛の鳴き声が聞こえてきた。
続く→
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